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吉木稔

吉木 稔 Minoru Yoshiki

コントラバス-Contrabass エレキベース-Electricbass

~ALL music is SOUL~
心にダイレクトに響くsoulfulな音・演奏・音楽に定評があるジャズベーシスト。

叩き上げでJAZZを学び、新宿PIT INN など都内ライブハウスでの演奏機会を得る。
植松孝夫Tsカルテット・西尾健一Tpグループ・板垣光弘Pfグループ・村上寛Drカルテット・Funk orchestra T.P.O 等数々のバンドやアルバムに参加する。
DuoからBig Bandまで様々な編成のバンドで全国的に活動する。

コントラバスソロアルバム【吉木稔】「ONE+」
ビートルズカバーアルバム【RHIZOME】「Plays the BEATLES」
オリジナルアルバム【MINORU YOSHIKI】「Path oh Hope」
上記 自身3枚のリーダーアルバムをリリース。

HISTORY

九州っ子

1973年生まれ 佐賀県出身B型。佐賀県武雄市出身の両親のもと3人目の末っ子。両祖父は旧満洲にて、教師、満州鉄道勤務と血気旺な人だったそう。 父方の曽祖父は久留米あたりに住んでいたとか。3代続けばというから、僕は九州っ子なのかな。 祖母はリアルな、がばいばぁちゃんでした。

バンドが気になる!

両親が共働きだったため、幼稚園の居残り組でエレクトーン教室に入る。すごく楽しくやっていた記憶がある。 当時ピンクレディーをTVで観て歌って踊る5歳上の姉のおかげか歌番組は欠かさず観ていた。
この頃のことを30歳過ぎてふと思い出したのだけど、>>.. 続きを読む歌手よりもバンドやミュージシャンが気になっていた事が鮮明に蘇る。 小3冬から高一秋まで熱血野球少年。高校一年4月からエレキベースを弾きバンドを始めたので、高一秋で野球部を辞める。
出身校は2007年夏甲子園優勝した佐賀北高校。 上京後、18歳での一人暮らしでは、少年野球の経験や監督の言葉に救われたり、とても糧になった。
古川監督本当にありがとうございました。

音楽好きの姉の影響もありよく歌謡曲を聴いていた様に思う。
中学生からバンドをやりたいなと思っていた所、高一4月よりバンドを始める。 当時『Xエックス』がデビューして大人気に。バンドでもコピーしたな。 あとガンズやディープパープルなど当時の流行りのハードロックやロックも。 そのなかでもBLUE HEARTSは好きだった、今も変わらず。セックスピストルズも大好き。
初めてギターを触った時から「Fコード」が弾けた僕は、高校二年には近所の先輩がウエスモンゴメリーを教えてくれてジャズに興味を持ったり、幅広く音楽を聴く様になり、高校二年秋にはミュージシャンになると上京を決める。
高校三年では渡辺香津美resonance voxをコピーしたりもしてたな。

プロへの覚悟

高校卒業後、音楽専門学校メーザーハウスに入学、伊藤広規氏と出会う。 何だかうまく書けないのだけど、無意識で勘が働いたのか相性が良いのか沢山影響されたし、よくしてもらった。たくさん話もした。

広規さんのプレイは大好きだ。

33~34歳くらいの頃、10年以上ぶりに広規さんに会いに行った時のこと。 『おお、よく覚えているよ!クソ生意気でバッチリ、最高だった。』と。 広規さんとの初対面の日、上京7日目。

広規『お前、田舎で上手い上手い言われてきたろう』
吉木『はい』
広規『だっせっ』
吉木『…』

その後一年半まともにベース弾けなかった……。

そう、もう一つ伝えて貰ったのは『カッコいい』だな。 広規さんのおかげでプロのミュージシャンになる覚悟が決まった。 広規さんの「一音」がプロへの覚悟が決まるものとなった。

2013発売の1作目、コントラバスソロアルバム『ONE +』を褒めてくれたのは、嬉しかった!

JOHN LENNON!

その頃はひたすらに音楽を聴きまくる時を過ごした。
ビートルズは高校から聴いていて好きだった、なかでも、JOHN LENNON! そんな18歳、JOHN LENNONを聴き音楽はこんなに自由なんだと心から感じた。鮮明に覚えている。

コントラバスを弾く

メーザー卒業後、20歳の頃友人の伝でタレントのサポートミュージシャンの仕事にありつく。
が、しかし、商業音楽に自分の居場所はなく、「おいは、こがんことすっために東京にきたとやなか」と感じ、やりたい音楽をやるならアマチュアの方がやれると思い「MATHER LAND」というアマチュアバンドをやる。 でも、アマチュアはいつまでもアマチュアなんだと気付き、改めてプレイヤーとしてプロになろうと考える23歳。
長男が1歳で僕が24歳の時『音楽やりたければ、ちゃんとやれば。私はいいよ』と、かみさんの一言で、ある意味ちゃんと音楽を再開した。
25歳になる頃にコントラバスに初めて触れJAZZを学び始める。

JAZZは面白い。カッコいい。ROCKも然り。
僕は、JAZZとROCKということばの意味合いは等しく考えている。

時を同じくして大塚にある『DONFAN』というLive&BarでJazz演奏の機会を頂き、コントラバスを弾き始める。店主のHIDEさんは恩人のひとり。
ここでのジャムセッションで、うそのない音で真っ当にカッコいいミュージシャンに沢山知り合えたのはかけがえのないものになる。
その仲間たちと新橋、数寄屋橋、新宿などでストリート演奏もやり、次第に多くの店での出演も増えてゆく。

荒巻茂生さん 安保龍也さん

Jazzの現場での演奏機会が増え、沢山のミュージシャンに出会い、毎日知らない事との出会いと知る喜びで充実した日々が続く。たくさん曲を聴いたし、たくさん練習もした。 でも、大学のjazz研にいた同世代と比べると圧倒的にJazzのことばを知らない…。しかも、コントラバス弾き始めたばかりで…、まず楽器が弾けず悔しかった。
それでも、音楽をやる自信は在りそれを見込まれたのか演奏の機会は増えていった。今思い返すと、大変だとか辛いとか感じる時間がない程に一所懸命だったのかな。
コントラバス始めたばかりの頃、荒巻茂夫氏に出会う。彼は自分が弾きたいコントラバスジャズの感じで「教えてください」とその場で伝え弟子になる。現在も荒巻茂生さんは強烈な個性を発揮して自身のバンド【ARAMAKI BAND】にて唯一無二のサウンドを生み出している。必聴です、本当に素晴らしい。 ずっと憧れの存在です。

参加バンドは増えていき、毎日違うバンドで演奏する日々…。各リーダーにより要求が違ったり、バンドによりリズムのニュアンスが違ったり……。
33歳頃、毎日の忙しさの反面かなり道に迷っていた。コントラバスを基礎から学び直したい、クラシック奏者に指導を受けたいと考えている時、安保龍也さんと出会う。 彼はクラシック界の異端児と呼ばれていたそう。間違いなく一番下手な生徒だったと思うけど本当によくして頂きました。お互いに忙しく年3~4回のレッスンだったが僕にはとても貴重なモノになっていった。
荒巻茂生さん、安保龍也さんにはベースを習いにいっていたのだけど、それよりもお二人の精神に会いに行っていたんだなと思います。相性もあるのかな。

これからも、誰かのいのちの助けになるような一音を目指して、その一瞬にいのちを懸けて、音を紡いでゆきたい。

音楽はただそこにあればいいと思う

東京大学のゼミ[景観としての森林生態系と人間の感覚]という原生林でのワークショップ体験でゲストスピーカーを5年間経験、自然の在り方を感じ自身の音楽の指針となるような大きな糧となる。
私見です。
『森の全てのものは一所懸命に生きようとして、主張し影響し合って一つとして同じ姿、形はない。自然のときの流れによりゆらぎ移ろいゆくなか、生きとし生けるもの森の全ての一瞬一瞬がずっと続いてゆき、全体として心地よい見事な調和があり森が生きている。』

音楽はただそこにあればいいと思う。

心にダイレクトに響くsoulfulな音、演奏、音楽に定評があるジャズベーシスト。

禅、哲学好き、仏教ファン。趣味はジグソーパズル。

音楽で『世界はこんなにも自由なんだ』と伝えたい。

~ALL music is SOUL~

FAQ

Path of Hope について

アルバムつくりのきっかけを教えてください。

Qイメージ画像 実際にREC日を決めたきっかけになったのは、西東京市民会館の閉館が決まったと知った事です。 2019年3月31に閉館なので、2019年2月6日、7日に録音。リーダー2作目の「RHIZOME」もここでの一発録音。
おそらく1970~80年頃に建てられたと思われる、客席500程の小さなホール。老朽化の為の閉館。。この頃に創られた建物はつくりが良いのか、音がいいのです。
内容としては、ピアニストの祖田修さんと重ねてきた時間(がきっかけ)です。大阪在住の祖田さんとの出会いは2013年8月26日、東京銀座での仕事。この日のリハーサルでの最初の一音は今でも鮮明に覚えていて、その翌年から僕が大阪に行ってDUOでの演奏を重ね、毎年ツアーをやり続けてきた仲です。
そして、何度かこのツアーにゲスト参加してくれていたサックスの森田修史さん。もう付き合いは長く2000年には(一緒に)演奏していたと思うし、2013年~2019年には村上寛drカルテットでも濃い時間を共にしました。 二人の音を聴いて貰えれば野暮な説明は要らないと思う。ワールドクラスの二人とアルバムを創れてほんとうに有り難いです。

どういうコンセプトだったのでしょうか

先ず2019年11月に佐賀新聞に掲載された記事(下記)を読んで貰いたいです。 [佐賀市出身で東京在住のベーシスト吉木稔さんが自身3枚目となるアルバムをリリースした。ホールのステージ上での生音を一発録音。イコライジングは用いず、ドキュメントとしての作品を目指した。人、心情、移ろい行くもの、自然などを題材とし、ピアノとテナーサックスの心地よい音色に吉木さんのベースが響く作品に仕上がっている。 吉木さんは「自身のアイデンティティーを表現するためにアルバムを作りたかった。まっとうな意味での自然。その瞬間でうそのない音をとりたかった。曲の全てが心情について書かれたもので、心の移ろいみたいなものがとれたと思います」とコメントを寄せた。(山中弘子)] Path Of Hopeのアルバムは吉木45歳。30代前半には自身のアイデンティティとは、自分とはどういう、人、音楽家なのか。ということをよく考えていて、いつの日か、それを表す為にオリジナル曲のアルバムを創りたいと思ってそれが形になったアルバムです。 12~3年越しの想いと今までの全てが詰まっています。 昨今は音楽やジャズの表現方法、CDという媒体での表現方法、どんな方法を用いても良いというのがルールとして有ると思います。 では、ミュージシャンは何を演奏するのか。 『まっとうな意味での自然。その瞬間でうそのない音をとりたかった』のです。 その為に今回選んだ方法は、ホールステージ上の生音一発録音。このアルバムは、どのマイクもイコライジング、リバーブやエフェクト無しで作品が完成しました。 この方法が心情の移ろいを感じる一つの要因かも知れません。 これが出来たのも、エンジニアの富正和さんのおかげなのです。この録音方法での考え方、音楽の作り方は富さんと意気投合したというのもあります。 富さんとの出会いは2013年の「ONE+」のマスタリングでした。それ以降、何らかのアルバムで毎年ご一緒しています。本当に感謝しています。 メンバーのオリジナル曲も収録していて、偶々全ての曲が心情について書かれたもので、心の移ろいみたいなものが録れたと感じています。 今は生楽器での生演奏の形態は少なくなっている様に感じるし、更にその傾向が進むかも知れない。それでもやっぱり今まで聴いたことない音楽が聴けるのはワクワクするし面白い。AIが音楽をやったとしても。 なにかがあって何かが動き、それが影響し合い事象になる。空気を伝、振動し音になる。その音楽の本質は変わらないのです。

ここを聴いてい欲しい、感じて欲しい、というところや苦労した点があれば教えてください。

どのマイクもイコライジング、リバーブやエフェクト無しで完成した珍しいアルバムだと思っています。

ジャケットについて、思い入れをお聞かせください。

Qイメージ画像 ジャケット絵は、大阪在住の絵描き「中尾ともみ」さん制作です。 メンバーの森田修史sax のアルバムジャケットも手掛け、大きい絵画作品も知っているのですが、彼女のアートは好きです。 SOULSTATIONのアルバムジャケットを考えている時に森田修史氏の推薦もありオーダー。どんな作品が出来上がっても採用すると最初から決めていました。 レコーディング後、直ぐに録ったままのラフミックスを送り、(そこからイメージしてもらって)5ヶ月弱して完成品納入。 一瞬で気に入りました! 後日話を聞くと、ともみさんはラフミックスを3~4ヶ月程ずっと聴いてくれいたそう。 この絵は、パッと見て「これはなんだろう」と思って観ているうちに『なんだこれは』になり、自身の思考や感覚がざわざわしてくるんです。絵が自分の中に迫ってくるのか、絵の中に自分が引き込まれてゆくのか。。そして自分の感情や想像力が感化され自分なりの物語が湧いて来そうで、楽しくて面白い。 アートの本質が存在しています。素晴らしいアーティストです。「アルバムの音をずっと聴いて描いた」と言ったくれたのはほんとうに嬉しかった。 ともみさん、本当にありがとうございます!

Yoshiki Minoru について

「One+」のジャケ写にもなっている、大きな木は楠ですよね?吉木さんのルーツのような気がしているんですが、どこにある楠なんですか

Qイメージ画像 東京都紀尾井町のホテルニューオータニの敷地内の楠。ゼミでご一緒した東大の教授との食事会の後、僕が携帯で撮りました。 両親の故郷は佐賀県武雄市若木町、父の生家から徒歩30秒に川古の大楠(「巨樹・巨木林調査」によれば全国で第5位にランクされる巨木)が有り、幼い頃は樹洞に入って遊んだりしていました。現在は保護の観点から中へは入れません。クスの木は佐賀県の県木なんですよね、佐賀にはたくさんの楠が在るんです。 川古の大楠は推定樹齢3000年だそう。自然災害や人の手のよって倒される事なく今も元気の姿を見せてくれててすごいんです。このよき里山周辺には他に巨木はなく、この大楠だけ。何かから選ばれ護られているのだなと思っていました。 けれども、森林学の教授の話によれば、太古の人々の生活では使いやすくて切りやすい真っ直ぐな木から切り倒され消費されていき、根がうねっていたり幹が曲がっている切りづらい木は後回しで、そのうち巨木になりある時から人々が紙垂を付けたりして崇めるようになり、地域の大切な存在になるのだそうです。 人もそういう所もありそう。 余談ですが、枝にネジを挿してキュキュッと音の鳴る「バードコール」を森で使って、鳥が鳴くと、『応えてくれた』と喜んでいる人が多いけど、教授によれば、鳥は警戒心が強く縄張り意識が強くて、鳴き返すのは警戒の為(自分の縄張りだと主張)で鳥にしてみれば迷惑なことらしいです。

これまでに旅をされてきた中で、印象に残っている場所はどこですか?

Qイメージ画像 Buckeyeという町。 最初のアメリカ旅、21歳のとき同郷の1つ上の先輩との2ヶ月程のふたり旅。 その中でも、ロス発テキサスを目指してのレンタカーでの3週間ロード予定の初日のこと。アリゾナの砂漠のハイウェイでの人生初の車事故。 原因はスピードオーバーと脇見運転、僕の運転でした・・。砂漠のハイウェイ、脇見して道から外れたと思った瞬間タイヤがバーストし制御不能になり・・3回くらいかな・・激しくスピンし、対向車線ギリギリ手前で止まったんです。他の車や人との接触はない単独事故。。幸い僕らは肘を強く打った程度で軽症。それでも、同乗者の命を落としかけた忘れることのない大きな事故でした。 そのうち警察が来てくれて近くの町へレッカー移動。二人とも喉が乾いていたけど、トランクに積み込んだ食料飲料の事はすっかり忘れていました。先輩には本当に申し訳ない事をしたと今でも思っています。 Buckeyeでの時間はよく覚えています。町並みも空気も人々の雰囲気も。 3泊だったかな、バスもタクシーもない小さな町で、水よりbeerやmilkが安かったと思います。 レンタカーを修理する為の部品も無いから一番近くの大きな街、フェニックスからの取り寄せでした。その後の車の旅はテキサスを諦めフェニックスから北上、グランドキャニオン、ソルトレイクシティ、リノ、サンフランシスコ、そしてロスに戻りました。 それまでの僕は何も出来ないクセに自信満々、自意識過剰、頭でっかち、自分の力が通用しない事はないくらいに思っていて。。。 帰京後も反省はずっと続いて、今となれば、取り返しのつかないような何かを起こす前に自省と意識の変化をもたらしてくれたと勝手な都合の良い解釈にしています。 これからも、この初心を忘れずに気をつけていこう。

Jazzミュージシャンの吉木さんですが、お聴きになる系統はどんな音楽ですか?好きなアイドルやミュージシャンはいますか?

ROCK,SOUL,FUNK,JAZZ...日本の音楽も。最近はクラシックも。ラジオをよく聴きます。 10代の頃はBBキングとJames Brownでした。今も変わらず好きです。 伊藤広規(山下達郎バンド)さんが大好きで影響を受けているのですが。 ベーシストだと・・僕が18歳のとき、広規さんが「吉木は絶対これ好きだよ」と教えてくれたのが、Larry Graham。何故と思うほど、まんまとハマり大好きになりました。お勧めですよ。 30代くらいからは、Charlie Hadenさん。偉大です。Avishai Cohen、Ray Brownも、ずっと好き。他にもたくさん・・。キリが無い・・・。 勿論ベーシストだけではなく、素晴らしいアーティストは大概好きです。大枠過ぎてよくわからないですよね、ごめんなさい。 こう書いていると、系統分けずに聴いているという事ですね。

好きな食べ物を3つ挙げてください。

・発酵食品全般
・根菜
・生もの(果物は生ものですか?果物も好き)

いま一番やりたいこと、若しくはこれからやろうと思っていることはなんですか?

・身体と精神を鍛えて、こころとからだを整える。2019年12月から筋トレを始めて1年経ち、2021年1月には10kランニングが出来る様になりました。続けて行きたいですね。 ・苦手である、人とのコミュニケーションを少しずつでも改善したい。どうすればよいのでしょうかね。考えて行きたいです。人の気持ちを聴けるようになりたくて、話を聴くときには、ニュートラルな感覚で人と向き合いたい。 ・枠を取っ払いたい。 ・やったことない事やってみたい。それが何かは未だ分からないけど。 ・「音を楽しもう」の再開。子どもの前で演奏したい。 ・海外でツアーをやりたい。 ・貰ったものは還さなきゃと考えているので。。音楽で『世界はこんなに自由なんだよ』って伝えたい。

「植物」への知識、というか意識が深そうにお見受けするのですが「原始林でのワークショップ体験」から会得されたものですか?それとも、もとから何かそれに近い感覚をお持ちだったんでしょうか。

全くもってそんなことはないです。ただ、面白いなぁとは思っています。 上京後、19歳くらいの時にバイトをしていた喫茶店内に背丈ほどの観葉植物があって。植物には光と水と土が必要で・・。人の都合で鉢に入れられて店内に置かれていて(当の植物は望んでいないかもと)・・これが海外の森で生きていればどれほど大きくなるのだろう・・・大きく成長するには場所も関係があるのだと思ったのを、今思い出しました。 「原生林でのワークショップ体験」とは、当時 東京大学北海道演習林長だった芝野博文教授の東京大学教養学部前期過程の全学体験ゼミナール『景観としての森林生態系と人間の感覚』に年1回、5年連続でゲストスピーカーとして参加。僕らミュージシャンも東大生と同じく森の宿で2泊3日の寝食を共にし、森林学、脳科学の教授たちの講義を受け、実際に原生林にも行くという体験。そして最終日夜JAZZ LIVE。学生たちには初JAZZ LIVEだったかも。 森林学者の芝野教授はJAZZの自由なサウンドやスタイルや在り方と森林には似ているところがある「森林とJAZZは関連性がある」と考えられました。5年間ゼミを共にさせて頂く中で、とても共感、賛同しました。1年だけだとここまで感じることは出来なかったと思います。 以下は僕の私見です。 『森の全てのものは一所懸命に生きようとして、主張し影響し合って一つとして同じ姿、形はない。自然のときの流れによりゆらぎ移ろいゆくなか、生きとし生けるもの森の全ての一瞬一瞬がずっと続いてゆき、全体として心地よい見事な調和があり森が生きている。』 JAZZの演奏では、アドリブという手法に重きを置く事が多く、その際にはソロイストだけではなく全ての楽器は生きた音で主張し影響し合って形を変え続ける(一つとして同じ姿はない)。その状態がずっと続いて全体として自由なサウンドが生きている。 JAZZも森も予期せぬ事が多々あり、自分側からすると予定調和はないと思っている。だがしかし、ライプニッツ哲学だと全ては予定調和だそう。そうかも・・。 この体験の時に感じたのは、自然からくる(人も含む)生きようとする音を集めて抽出、紡いで表現する、それが歌や曲になれば良いなと、それが音楽家の仕事のひとつかなと。。出来る様になりたいと思っています。

「学校コントラバス救済作戦」はどんなことから思いつかれたんですか?また、継続されてきた中で、つらかった(大変だった)こと、嬉しかったことなど教えてください。

人々の生活様式の変化により楽曲を携帯できてヘッドフォンで楽しむようになり、生の楽器からの空気の振動を伝っての音楽の楽しみ方が衰退してゆくのかと憂いたり、考えたり・・・その中で、やはり子供のうちに生の音を届けたいと「音を楽しもう」を主宰し始めました。 形は移ろうものでヘッドフォンで楽しむのは良いのです。けれども、空気の振動を伝っての音は音楽の大事な本質のひとつなので大切に伝えて行きたいのです。 やろうと決めたきっかけは「学校コントラバス救済作戦」に掲載していますので、是非ご一読ください。 嬉しかった事は「活動報告」にも書いています。一番は、張り替えてふくよかな音が出るようになった楽器での最初の一音を出した時の生徒の「わっ」と驚いた感じ、その直後の笑顔、その瞬間に立ち会えたこと。 個人的にはつらいことは無いです。ですが、学校の吹奏楽部の状況や音楽教育については疑問を持ったりします。勿論関わる殆どの人は良かれと思っての事だと思います。しかし、良かれと思っての事が良く無い方針だったり、考えが及ばなかったり、知らなかったり。(勿論、僕もですね) 音楽にとって、教育にとって、人々が生きる上での文化にとって何が良いのか、一つの枠(学校)に囚われずに情報交換含め横のつながりが活発になれば良いなと思います。

子どもがお好きそうにみえるのですが、子どもたちへのメッセージがあればお願いします。

はい、好きですね。10代の頃からそうです、なぜだろう。 僕の子どもが小さかった20年程前、「指示待ち人間」という言葉があり・・。僕らの祖父母やそれより以前よりの習慣だとは思うのですが、子どもに対して良かれと思っての大人の対応が、指示待ち人間を作ってゆくのもあるかなと、僕は考えています。 とある正月に息子たちを見ていて思い付いたのですが。 『勇気をもって決断できる人になってほしい』 子どもに限らず大人にこういう人が増えたら良いなと心底思います。

DISCOGRAPHY

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    MOVE MAKER

    GLASS FROGS

    2021年

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    PATH OF HOPE

    MINORU YOSHIKI SOULSTATION (吉木稔3rdリーダーアルバム)

    2019年

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    Plays the BEATLES

    RHIZOME (吉木稔2ndリーダーアルバム)

    2018年

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    LOVE IS BLUE

    板垣光弘カルテット

    2017年

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    CROSS POINT

    KVQ

    2017年

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    courage

    satsuki vo

    2016年

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    夢の浮橋

    門馬瑠依vo

    2015年

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    村上寛drカルテットLIVE DVD

    村上寛drカルテット

    2014年

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    frying mind

    VANGY

    2013年

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    ONE+

    吉木稔contrabass sol (吉木稔1stリーダーアルバム)

    2013年

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    宮本信子vo LIVE CD DVD

    宮本信子

    2007年

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    TPOS

    funk orchestra T.P.O

    2004年

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    GO A HEAD,HAVE FUN

    西尾健一tp

    2005年

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    FOR LOVERS

    土濃塚隆一郎tp

    2004年

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    yellow TRIP

    力武誠dr

    2002年